こんな、びっくりの話がありました。
「君が育てた社員だ。大切にするよ」
・・・僕はある日、思わず泣いてしまった。
もうすぐ還暦になろうとしている時。
30年近く経営してきた会社を、長年取引してきた取引先に会社を売却した。
その話を、80代の両親に報告に行ったところ、親の言葉に思わず涙してしまったのだ。
取引先というのは、あるECサイトを運営する会社。
その会社の事業全体に関するコンサルティングを行っていたが、僕の会社の社員たちへの評価が高く、会社自体を譲渡してくれないか――それが、先方の社長の申し入れだった。
1か月間とことん悩んだが、僕はその申し出を受け入れることにした。
実は、ずっと温めていた夢があったからだ。
今の会社を運営しながらでは、その夢を実現するのは難しい。
一方、会社を受け継ぐ後継者は、今のところ不在だ。
その悩みを先方の社長に前から打ち明けていたから、今回打診を受けたという面もあった。
社員を評価してくれたのは、とても嬉しかった。
でも、その社員も含め、長年の取引先などの利害関係者が困りはしないか、結果迷惑をかけるぐらいなら会社は譲渡しない・・・そうも思った。
先方の社長は、「君が育てた社員だ。大切にするよ」
そのひと言で、僕は会社の売却を決意した。
「そうか、社長を卒業したんだな。おめでとう」
両親は、僕が小さい頃から放任主義だった。
何でも好きなことをやらせてくれ、まずいことがあると、自分で責任を取るよう促されてきた。
兄貴とは大きな差だった。
兄貴は、成績優秀。両親は何かと手をかけ、兄貴も両親のいうことをよく聞いていた。
僕はとても寂しかった。
(なぜ僕だけ、放っておかれるんだ・・・)
社会人になって、兄貴は誰でもが知る大手企業に就職し、サラリーマンとして出世街道を歩いて行った。
僕はと言えば、中小企業に入社しても長く続かず、転職を繰り返した。
親は、僕を咎めることはなかった。
そして起業。
やはり、親は賛成も反対もせず、ただ頷いただけだった。
・・・親を前にした時、特に報告しても何の反応もないだろうから、正面切って報告するのもどうか、最初はそう思った。
でも、親も高齢になり、節目だけはきちんとしておこうと、膝を正して、こう伝えた。
「親父、おふくろ、会社を第三者に売ったよ。誰にも迷惑がかからなかったから良かった」
そうすると、親父がこう返してくれた。
「そうか、社長を卒業したんだな。おめでとう」
その顔は笑顔だった。
「よくやったね。必ずやり切ると思ったよ」
おふくろの顔も笑顔だった。
おふくろの後ろで、兄貴は黙って頷いていた。
予想もしない反応に、僕の涙腺は思わずゆるんでしまった。
僕ももう還暦。
だからこそ、今さらだが、気づいたことがあった。
親は、兄貴は兄貴、僕は僕、それぞれに対して、精一杯の愛をくれたんだ。
そう、兄貴は本家の長男。僕は次男。
家を相続する長男は手塩にかける習いがある。
次男以降は、家から独立する必要があったから、ひとりで生きていく術を身につけさせる必要がある。
だから、僕を一人でも生きていけるように放っておいたんだと・・・。
だとすると、僕を育てる方が、相当難しかったのではないだろうか。
「親」と書いて、「木の上に立って見る」と書く。
これが親の僕への育て方だったのだ。
父の言葉、母の言葉で、親の思いがスッと心に入ってきたようだった。
親の前で泣いたことは、初めてだ。
でも、僕は、凝り固まった心が解けていくような不思議な開放感を味わっていた。
父、母、兄の3人が、夢で僕を祝ってくれていた
・・・僕は目が覚めた。
枕が涙で濡れていた。
我に返って、兄貴が既にこの世にいない現実におののいた。
かつて、兄貴は生まれてすぐに亡くなり、次に僕が文字通り次男として生まれた。
両親は、僕を本家の長男として育ててくれた。
それこそ、手塩にかけて・・・。
有名大学に入学し、有名企業に就職し、親は喜んでくれた。
本来は、亡くなった兄貴が享受するはずだった親の愛情を僕が享受した。
起業する時に親は大反対したが、僕は自分の意思を通した。
起業後、大変なことが何度かあったが、僕が一人前になった姿に両親は喜んでくれた。
そして、母が他界し、父が他界した。
親は、次男の僕をも大きな愛で包んでくれたということだ。
夢の中の両親の言葉が、それを証明している・・・。
兄貴と次男の二役を演じ、親から倍の愛を享受した僕。
夢で頷いてくれた、大人になっていた兄貴。
(兄さん、有り難う)
感謝と共に、こうも思わずにはいられなかった。
(兄さんは、僕の中で共生してきたんだ、きっと)
父、母、兄3人一緒に夢の中に登場し、僕の「会社エグジット」を喜んでくれたという、不思議な体験。
この時が、本当に社長を卒業できた瞬間だったのかもしれない。
※会社エグジット」とは、後継者のいない中小企業の社長が、会社を第三者に売却することによって、自らの次の人生、そして家族や社員、取引先などの利害関係者の幸せを創造し、大廃業時代が来るといわれている日本経済を救う愛ある行為のことです。
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