あなたの父との思い出は何ですか?
お盆を前に、思いだすことがあります。
父は、50の声を聴いてから、秋田の山深い里から都会に出てきました。
生まれ故郷を後に、どんな思いで上京してきたんだろう・・・回答の出ない切なさが時として、胸にこみ上げてきます。
後ろ髪を引かれながら、不安も抱えて上京してきたことは間違いありません。
最初は神奈川県の茅ヶ崎。
生まれ故郷の人脈で、経理部長の職を得ることができました。
お家も建てました。
でも、勤め先の人間関係に悩まされ、結局は退職し、お家も売却することになってしまいました。
その後、資産家の親戚の面倒を見るために、新宿のマンションの1室に家族全員で住むことになりました。
朝晩もないような生活。
お人好しの父親は、作り笑いをしながら家族を励ましていました。
自分が一番つらいだろうに・・・。
そして、親戚の伯父さんが亡くなると、そこを転居せざるを得ませんでした。
母方の叔父の紹介で、東京の北区の給食センターで父は経理、母は給食の現場の仕事を得、出勤も帰宅も一緒。父の顔に、やっと生気と笑顔が戻ってきました。そして、もう少し広いアパートを借りて住むことになりました。
その後、埼玉県の蕨市にテラスハウスを購入し、数年暮らした後、東川口に一軒家を得ました。
この頃は、父が上京してきて一番元気になった頃です。
一貫して経理の仕事ではありますが、職場も変えました。
「先生」と慕われた父より、そばに「最愛の母」がいる父が好きだった
私は独立した後、体調がすぐれなくなった父と母を迎えに行き、名古屋で一緒に暮らすことになりました。
父と共同名義で家を購入。
しばらくは一緒に住みましたが、父も母も病状が重くなり、別々の病院に入院することになりました。
数年経ち、母、父と立て続けに他界しました。
慣れない都会に20年以上身を置いた父。
秋田にずっといた方が幸せだったのでは、と思う時があります。
でも、先生のように慕われた故郷の父より、都会の不器用な父の方が、人間臭くて、好きでした。
何より、常に心配性の母が父のそばにいたことは、父にとって、とても良かったと思います。
父は故郷で尊敬されるより、そばに最愛の母がいて、できそこないの息子がいることが幸せだったのです・・・そう思うことにしています。
後年、姉が言っていました。
「お父さんは、最後あんたと暮らせて幸せだったんだよ」
母が亡くなり、どうしても会いたくて、著名な霊媒師にお願いし、母と会話させてもらおうとした時があります。
「今はここにいないよ・・・(ショック)・・・お父さん、どこかに入院している?・・・(はい)・・・お母さんは、お父さんのそばにいると思うよ・・・」
それからしばらくして、父が亡くなりました。
父が不憫で、母が連れて旅立っていったのでは、と今も思っています。
最後に父と母と一緒に暮らせたことに感謝
立て続けに亡くなる夫婦は、最高に仲が良かったという言い伝えがあります。
少なくとも、そう思うことで、自分は救われたような気がします。
ところで、母が亡くなり、夢でもいいから会いたかったのに、母は現れてくれませんでした・・・父が亡くなり、しばらくしてから、母は父と一緒に夢に現れました。
その顔は笑顔でした。
――もう大丈夫だよ(^.^)――
最後に、父と母と一緒に住めたことに感謝しています。
あれから25年。
もうすぐ、お盆です。