「もう一度サラリーマンをやり直しなさい!」
起業した頃のことです。
30歳で起業して3年。バブルが弾け、同時に日本の失われた30年がスタートしました。設立後1~2年は黒字続き。サラリーマン時代の人脈のおかげであるにも関わらず、すべてが自分の実力と錯覚し、調子に乗っていました。
事務所を拡張し、社員も増員しました。
そんな私のもとに、「契約をしばらく手控える」という話が、取引先から次々と舞い込むようになりました。バブル・ショックの到来です。
そして、翌年、翌々年と赤字が膨らみ、銀行からの借り入れが、もうすぐ底を突くところまで来ていました。
背に腹は代えられない。そう思い、銀行に追加融資のお願いをしたところ、
「それは無理です・・・ところで、月々の返済、大丈夫ですか?」と、今までの対応とは180度違う、冷たい対応でした。
その日を境に、銀行とは返済確認のプッシュを受けるだけの関係になっていきました。当然といえば当然ですが・・・。
そんな折、母から連絡が入りました。
父と相談の上だったのでしょう。
「もうこのままでは、会社ダメなんでしょう?」
母の誘導尋問に、私は包み隠さず現状報告をしていました。
ワラをもつかむ思いを、私は母にぶつけていたのです。
もう、親に助けてもらうしかないかと・・・。
「赤字を出し続けたら、借金が膨れ上がって身動き取れなくなるでしょう?」
そして、親にお金を出してもらえると踏んでいた甘えん坊の私は、最後通告のような次の言葉に凍りつきました。
「もう一度サラリーマンをやり直しなさい!」
私には、母に言い返す言葉が見つかりませんでした。
「ムリを押して独立したんだから、自分で責任を取らないとね。サラリーマンになって借金を返してからまた考えればいい」
最後は、優しい口調に変わっていました。
私は、親に甘えていた自分を猛省しました。
いつまでもあると思うな、親と金
一方、どうしてもこのまま続けたい――私は、その思いを母にぶつけていました。
「このままでは終わりたくないんだ!」
しばし沈黙が流れた後、母から次のような提案がありました。
「半年後に黒字にならなかったらやり直す・・・それでどう?」
私は同意しました。
それしか方法はないと思ったからです。
悪夢から目が覚め、視界が広がった瞬間でした。
「その間のお金、工面しようか?」
母にそう提案されましたが、私は断りました。
生活費を切り詰めれば、半年間は何とかなると・・・。
ムリなら、半年経たなくても会社を畳もう。
もう親に甘えるのは止めようと思いました。
「いつまでもあると思うな 親と金」です。
(でも、絶対、会社はつぶさない)
私はそう決意しました。
両親とも既に他界しましたが、あの時に親に大変な思いをさせたこと、そして親への感謝の思いがエネルギーとなって、おかげさまで会社を30年近く続けることができました。
あなたのそばにいる、いちばん大切な人は、どなたですか?
苦境に陥った時、その人に相談を持ちかけ、前向きな対策を立て、約束する。
それが大きなエネルギーになることは間違いありません。
分かり切ったことではありますが、人はひとりだけで生きていくことはできません。そばに大切な人がいること、忘れたくないものですね。
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