2011年11月29日に書いたコラムです。
改めて掲載させていただきます。
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東日本大震災の爪あとは、あまりに痛々しかった
社員研修で、11月26~28日(2011年)、東北に行ってきました。
向かった先は、東日本大震災の被災地、陸前高田と仙台。そして、今年世界遺産に認定された平泉。外部ブレーンも含め、10人でツアーを組みました。
・・・陸前高田が近づいてくるにつれて、三陸海岸の海が顔を出し、バスの車内は徐々に静まり返っていった。
そして、瓦礫の山々・・・旧市役所の近くに降り、一人一人、無言のまま、ゆっくりと、気の向くままに、それぞれが陸前高田の風景に吸い寄せられるように歩き出した。
ある建物の外壁には“ガンバロ日本”の白文字。
祭りで使用してきただろう、やぐらの足場。
壊れた建物の前に備えてある線香に火をつけ、合掌。
遠くに目をやると、ずっと何も変わらず、そこにあるだろう東北の山々。
静かな海。
目を近くに転じると、壊滅状態の街。
足を止め、足元には埃をかぶった本が数冊。
触ってみると、水分を含み、蒸発し、埃にまみれた状態というのがよくわかる。
その中の1冊を開いてみると…昭和46年、“高田高校女子チームが日本一”という文字が写真付きで掲載されている。その当時の新聞記事が転載されているらしい。
(強かったんだ。ここで女子チームは元気な声を掛け合って練習し、日本一になって、凱旋し、町の人々は笑顔で迎え、喜び合ったのだろう)
胸が締め付けられた。この冊子は、郷土史なのだろう。
(すごい街だ)
純粋にそう思った。
近くにたたずむ女子社員は、肩を震わせて泣いていた。
ひとりの男子社員は、夢遊病者のように、茫然としながら街をさ迷い歩いていた。
陸前高田、奇跡の一本松を前にして
陸前高田の高田松原には、震災前、7万本の黒松があった。
菅野杢助氏という人物が、防風林として海辺に黒松を植え、住民の安全を守ったというのがルーツとのこと。
“奇跡の一本松”を目の前にし、この生命力はきっと、菅野氏の御霊の力ではないかと感じた。
街の中には、びくともしない大きな岩が散在している。海水が海底の岩を怪力で運んできたのだ。その怪力にも負けず、一本松がここにある・・・。
社員と共に陸前高田の地を訪れたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
自分たちができることは何だろう――この風景を忘れず、自分たち一人ひとりが次の世代に伝えていくことではないか。そう思いました。
合掌
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10年前の陸前高田の風景、今でも鮮明に思い出します。
あれから10年経ったのですね。
街もずい分、復興したと聞きます。
あの時の風景を忘れず、また必ず訪ねよう。そう心を新たにしました。