「YES+NOが言える」日本人が世界のスタンダードになる

japan-DNA

YESかNOは勝ち負けを生み、争いを起こす。今までの世界

「YES、NOをはっきり言える日本人になれ」
小さい頃からそう教えられてきました。
これは戦後教育の欧米化がもたらしたものといっていいでしょう。

欧米はYES,NOをはっきり言うことを是とする国々。
相手と議論して勝つという「ディベート」教育がそれを後押ししています。

私の中に、今もなお頭をもたげてくる強迫観念。

(違うんだよな)
そう思いながら、YES、NOと言わなければいけないという焦燥感に駆られてしまうことはよくありました。

特に、秋田から東京に上京してからは、その焦燥感には拍車がかかったようです。
あなたはどうですか?

今だから言えます。
「YESかNO、どちらかを選択するために言い合ったら、結局は戦争になるよ」

そして、こう思います。
「何が人のためになるのかという視点を持てば、YESとNOのミックス型に必ずなるはず。0か100と選ぶ方がムリがある。プラスすれば、それをミックスした第三の選択肢が見つかる可能性もあるよ」と・・・。

YES、NOを選ぶ過程で、人と人はぶつかります。
ぶつかったら喧嘩になります。
勝ち負けが発生します。

負けた方の感情はしこり、それが次に爆発して争いになることがあります。
宗教の争いを代表格とし、西欧の歴史がそれを証明しています。
資本主義VS共産主義もそうです。

YES、NO→「それは人を幸せにするか」に変わる。今後の世界

それでは、私たち日本人はどうでしょうか?

西欧人になる必要もないし、資本主義か共産主義の選択を迫られているわけではないのです。

戦争に負けたから、その子孫も西欧の基準に従いなさいと言われているわけではないのです。
仮に要求されたとしても、日本人の子孫であることを止めるわけにはいきません。

なぜなら、YESかNOで物事を判断するのではなく、YES+NO、YESとNOの間にあるグレーゾーンを大事にするDNAが私たち日本人に脈々と受け継がれてきているからです。

クリスマスイブを祝った1週間後に、除夜の鐘で新年を迎えることに何の違和感も感じないのが日本人なのです。

また、YESでもありNOでもあること。
「君の考え方のその部分はYESだけど、この部分はNOじゃないかな」
というお互いのやり取りには、3つのメリットがあります。

・極端な結論を避け、現実的な答えを導き出せること
・勝ち負けにならないため、平和的な解決ができること
・感情的なしこりを残さず、協力関係によって新しい知恵や技術が生まれ、変化に対応していけること

時として、YES、NOを越えた第3の選択肢が誕生することだってあります。

これからの世界平和と人間の幸せを考えたら、YES、NOでものごとを決める民主主義的な方法論は通用しなくなるでしょう。

「それは人を幸せにするものなのかどうか」――この価値基準を視点として持った上で、「良い悪い」のYES、NOではなく、「どうすればそれを実現できるか」というHOWの議論をしていく世の中に変わっていくでしょう。

人の道は二者択一ではありません。
それをいちばん知っていて、古くから体現してきたのは日本人ではないでしょうか。

争いのない世界を創り直すなら、日本人の価値観と視点を世界のスタンダードにする。それが日本人に課せられた大きな課題といえるかもしれません。