ミステリー短編小説『あっという間』(起業と事業承継、その葛藤を越えて)

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起業と事業承継、その葛藤をミステリー風の短編小説にしてみました。

☆「一番星」

3月の春のからっ風が身に沁みる夜の19時ごろ。

東京の中野近辺の路地裏を歩いていたマサルは、ボーっと灯る「一番星」と記された赤ちょうちんに惹きつけられ、のれんを潜っていた。

店内を見回してみると、全体が木造り。
まだ誰も座っていない6席ぐらいのカウンターと、一段高くなっている畳敷きのボックスが2席あった。

ボックスには丸い「ちゃぶ台」が居座っていた。
ひとつの席には、すでに二人の客が座っている。
マサルと同じ30歳前後のサラリーマン風の男たちだった。

装飾は、どうやらマサルが生まれた昭和30年代前半の「昭和レトロ」に統一されているようだった。

壁には、かつて一家にひとつはあった「フラフープ」が飾ってある。
大きな輪を腰を動かして回し、落とさないように競い合う遊び道具だった。
そのフラフープを囲むように、すすけた新聞紙があちこちに貼ってある。
当時の新聞記事なのだろう。

古びた桐ダンスの上には小型のトランジスタテレビが鎮座している。
その隣には、これも一家にひとつあった、黒い「だっこちゃん人形」が飾ってあった。

マサルは、昭和の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ後、カウンターのいちばん奥の席に座った。

「大将、このお店、昭和の匂いがしていいね」

マサルと同年代と思しき大将に声をかけてみた。

「私もね、お客さんと同じぐらいの年かな。居酒屋やるなら、生まれた時代の匂いに包まれたいと思ってね。こんな店にしたんですよ」

カウンターの向こうから大将が笑顔を向けてきた。

「分かるよ」
マサルはうなずいた。

高度成長期に向けて日本が元気になろうとしていた時代。
まだ白黒だったが、動くテレビ映像に驚いた幼い頃。
テレビの中で小さな人間たちが動いていると真剣に思ったものだった。

(金色の骸骨が大声で笑う「黄金バット」というマンガを初めてカラーで見た時、思わず泣いてしまったっけ)
そんななつかしい映像がよみがえってきた。

ふと、笑みがもれる。

「新幹線が走り、東京オリンピックで世の中が盛り上がり、経済も成長していった」
大将も遠くを見ながら、古き良き時代を思い出しているようだった。

「あの頃は希望しかなかったね」
マサルは、しみじみつぶやいた。

大将がそのつぶやきを拾った。

「そう。日本も、自分も絶対一番になろうって思ってね」
一番になる・・・それが店名の由来のようだった。

大盛りの枝豆と刺身3点セット、瓶ビールを2本。
大将とのなつかしい話を肴に、マサルはほろ酔い加減になった。

30歳になって起業したばかりのマサルには今、希望の道しかなかった。

「大将、また顔出すよ」

☆「止まり木」

マサルは景気づけにもう一軒寄ることにした。
時間はもうすぐ夜の21時になろうとしていた。

今日は中野近辺の居酒屋をハシゴしよう。
そんな気分だった。

外に露出した四角い白い看板に目を向けると、そこには黒文字で「止まり木」と書かれてあった。

店内から焼き鳥の香ばしい匂いがしてくる。
マサルはのれんを潜った。

店内を見回してみると、全体が木造り。
カウンターやボックスの配置も一軒目の「一番星」と同じような、こじんまりした居酒屋だった。

装飾も似ていて、ただ一番星よりもさらに年季が入っている。

見回すと、30歳前後のサラリーマン風の男たちでカウンターもボックスもほぼ埋まっていた。かろうじてカウンターの奥が1席空いているようだった。

マサルは、その席に座った。

「大将、このお店、一番星の姉妹店かね?」
マサルよりも30歳ほど上になるだろうか・・・大将に声をかけてみた。

「なつかしいね。昔の店名ですよ」
カウンターの向こうから大将が笑顔を向けてきた。

見覚えのある顔・・・さっきの大将に似ている。

「えっ?昔?」
マサルはどう返答したらいいか分からず、とっさに疑問を口にしていた。
頭の回路がつながらない。

しばらくして、ひとつの結論に達した。

(さっきの一番星の大将は、この大将の子供なのだろう。本店を譲って、同じようなお店を「止まり木」として出店したのか)

でも、さらなる疑問がわいた。
(日本も、自分も一番になろうって、「一番星」という名前をつけたんじゃなかったのか・・・?)

「あの頃は希望しかなかったね」
マサルも、そうつぶやいたはずだ。

「私、お客さん、覚えてますよ。30年ほど前、ここで会いましたよね?」

突然、マサルの頭が高速度で回転し出した。

起業後、会社を成長させ・・・バブル・ショック、リーマン・ショックで会社を倒産寸前まで追い込み・・・心の支えだった両親を立て続けになくし・・・今、後継者不在で会社を廃業するかどうか悩んでいる自分。

「あっ、あなたは、さっきの大将!」

マサルの驚きの声に周りがふり向き、怪訝な顔を向けてきた。
大将は焼き鳥を焼きながら、変わらず笑みをたたえている。

「私もさっき会ったような気がしますよ。忘れもしません。当時、話が盛り上がり、お客さんの目は希望に輝いていた」

大将は焼き鳥を焼く手を休め、真剣な面持ちでマサルに向き直った。

「この30年間、日本も、このお店も、私も前に進めず、立ち止まったままのような気がするんですよ。お客さんも、そうだったんじゃないですか?疲れた顔をしている」

マサルは、自分が当時の年齢をはるかに越えていることに、今さらながらのように気づいた。ショックは隠せなかった。

(さっきの希望あふれる自分はどこに行ったんだろう)

「お客さん、私は今、お店をやり始めた頃の原点に戻っているんですよ。何のために居酒屋をやっているか。コロナ禍をくぐりぬけながらもやり抜く価値があるのかとね」

「それで、何か見つかったのかな?」
マサルは次の言葉を促した。

「止まり木ですよ。失われた30年で、前に進めないサラリーマンたちの憩いの場と時間を提供できればいい。そう思ったら楽になったんですよ。一番星にならなくたっていいってね。だから途中で店名を変えたんです」

マサルは、このまま何もオーダーしないと迷惑だと、焼き鳥の盛り合わせと枝豆、ハイボールを頼んだ。

「僕の起業の原点は希望だった」
マサルは何か、大切なものを見失っていたような気がした。

感謝の念がわき上がってくる。

「大将、有り難う」

「ハイよ!」

歯切れのいい口調で、大将はマサルの感謝に応えてくれた。
60歳を超えて右往左往するマサルに、少し希望の光が差したようだった。

「大将、また顔出すよ」

☆「喜楽」

マサルは眠りから覚めた。

どうやらカウンターで居眠りしていたらしい。
壁に据えてある時計を見ると、既に23時を回っている。

さっきの夢はリアルにマサルの中に映像として残っている。
それを忘却の彼方に押しやらないために、マサルは大将に声をかけた。

店内にはもうマサルしか残っていなかった。

「大将、走馬灯のような夢を見たよ。大将も僕も同い年。希望をもって昭和から平成を走り抜けてきた。でもなかなか進めない自分たちにやきもちしていた。そんな夢だったよ」

「大丈夫ですよ・・・さあさあ、乾杯しましょう。今日はマサルさんにとって、めでたい日じゃないですか」

あれから1年、廃業の危機から抜け出したマサル。
起業した頃の原点に帰って会社をどうするか考えた時、「社員の成長のため」という希望の道が見えた。

マサルは同業者に会社エグジット(売却)することにした。
そして、3年間顧問としてエグジット先の会社を支援。
社員の成長を確認して、顧問を卒業することになった。

今日がその日だった。

ホッと安堵した気持ちとともに、寂しさが押し寄せてくる。
それを紛らわすために、ここに寄ったのだった。

マサルは「喜楽」の常連だった。

一軒目ではあるが、夢のお店もカウントすれば、ここが三軒目。
いい感じで居酒屋をハシゴできたものだ。

「大将にとっても、毎日がいい日じゃないか。会社を受け継いだ息子さんが、喜楽を大きなチェーン店にしてくれた」

「そうですね。おかげさまで、私は本店の一店長でいられる」

大将は満更でもないようだった。

「喜楽は、お客さんにとって止まり木のような存在。そして一番星をめざすお店。そうだね、大将」

2人はビールをグラスに注ぎ合った。

「喜楽に行こうぜ、二人のこれからの人生。それを祝して」

マサルが音頭を取った。

「乾杯!!」