半年の差で旅立った母と父を偲んで

father-mother

死の淵にて、母からの感謝の言葉

「今まで、有り難う」

聞き取れないほどのかすれた声。
私の目を見て、精いっぱい口を動かしてくれた母・・・。

私の全身が震えだした瞬間でした。

秋田から東京。
東京から名古屋。
私の道をなぞるように、一緒に歩んでくれた母。

マザコンと認めたくなくて、母に反抗ばかりしてきた自分。
幼い頃からの思い出のスライドが、高速で目の前を行き過ぎていくような感じでした。

走馬灯はこういうものなのでしょう。

母は精いっぱいの言葉を発した後。穏やかな笑身を浮かべ、私を見つめていました。

あの最期の言葉は、これから生きていく僕へのエール。
そう思っています。

 父がいちばん行きたかった場所は、50年なじんだ故郷

「秋田!」

アルツハイマーだった父親に、
「どこ、行きたい?」
と問いかけたところ、返ってきた答えでした。

父が50歳の時、一念発起して上京してきた父と母。
その母は、半年前に他界していました。

父に知らせずにおこう、と親族で決め、喪主は、私が代理で行いました。

毎週1回、病院から父を伴い、近くの老舗うどん店で、一緒に食事するのが習慣になっていました。

「愛子(母の名)は元気か?」
最初は、必ず口にした質問でした。

「元気だよ」
努めて自然を装って返答するようにしていました。

「・・・そうか」
寂しい笑顔でした。
それはそうです。会いたいに決まっています。

いつの頃からか、父は母のことを問わなくなりました。
演技の下手な僕の態度から、うすうす感じ取っていたのかもしれません。

父は、50年過ごした故郷で、本当はそのままずっと暮らしたかったのでは。母と共に・・・「秋田!」という返答で、その思いが伝わってきました。

「うん、一緒に秋田に行こうな。手配しておくよ」

数日後、父は他界しました。

その夜、なかなか夢に出てこなかった母が、父と一緒に夢に出てきました。
二人の顔は笑顔でした。

8月13日は、父と母、及び先祖の墓参り。
過去に手を合せる日です。