今さらですが、「想定外」という言葉について考察しました。

protect-nature

ところで、「想定」の主語って誰?

「想定外」という言葉が10年前、聞こえてこない日はありませんでした。

10年前――それは、東日本大震災の原発問題でよく出てきた言葉でした。

思いも寄らないことが起こると、「想定外」という言葉を流行語のように使っている自分がいました。

今では、この「思いも寄らない」という概念は曲者であると感じます。
そして、当時そんな言葉を使っている自分を反省しています。

さて、「想定外」ってどんな意味でしょうか?
事前に予想した範囲を越えていること――goo辞書にはそう書かれています。

それでは、「誰が」想定するのでしょうか?

原発問題の想定外は、電力会社でしょうか?
原発最前線で活躍する技術者でしょうか?
日本政府でしょうか?

その主語も分からず使っていた「想定外」という言葉は、実に危険で、言い訳がましい言葉だと思いませんか?

想定外の事故なら、主語がたとえば日本政府の首相なら、何と頼りない政府なのでしょうか?
電力会社なら、何と危険な電力会社なのでしょうか?

“原発は安全”という神話を創ったのは、確かに過去の日本政府であり、電力会社でした。

「想定外」と言ってしまえば、責任逃れできるのでしょうか?
そうではありませんよね。

そこに思いを馳せずに、流行語のように使っていた自分は、同罪を犯しているように感じてしまいます。
特に東北出身の自分としては、10年後の今、もう一度この問題に触れてみようと思った次第です。

自然の猛威は、私たちに何を要求している?

日本は台風や地震の大国です。
自然は猛威を振るいます。

それなのに、その日本において、自然のなすことを「想定外」としているのは本来おかしい話ではないでしょうか?

まずは、「想定」の主語を「人間」から「自然」に変えるべきです。
その上で、際限のない自然の猛威に対して、人間はどう対応していったらいいのか、と思考転換するのです。

台風や地震に対しては――。

・海岸沿いや山沿いには住まないなど、危険には近づかないこと。
・まずはCO2の圧倒的な削減を。自然と協調して、技術を進化させていくこと。

もちろん、これですべてうまくいくわけではありませんが、自然を主語とすれば、少なくとも生きる姿勢ははっきりするのではないでしょうか。

「想定内」なら、目標を操作される可能性がある?

それなら、「想定内」ならいいのか・・・それも違います。
これも、誰が想定するのか、という意味で一緒です。

たとえば、CO2削減を、日本政府は2013年を基準に、2030年までに46%削減すると目標設定しました。

この目標設定の基準は、何だと思いますか?

2013年はCO2排出の多かった年と聞きます。14億800万トンで、従来よりも火力発電における石炭の消費量が増加した年です。

そこを基準にして、いま日本ができる技術の想定内なら46%削減できる・・・そのように感じるのは私だけでしょうか?

できる範囲の中で実行するために、基準値を低くするというのは、とても人為的で、ある人間、ある組織、ある国にとって都合がよすぎます。

目標設定する前に、やるべきこと。

・何のためにそれをするのか。
・それをするならここまでやらなくてはいけない。
・今のままでは無理だから、こんな技術と○○の努力と〇〇の協力を得る。
・いつまでにこうする。

――目標設定は、この流れの中で決まっていくのではないでしょうか。

つまり、初めに目的ありきです。
この目的がなければ、目標は都合よく操作されてしまう可能性があるのです。

日本政府は、この目的を忘れ、クリアできる目標設定を操作しているように見えます。

でも、もし2030年に目標達成できなければ、ひょっとしたらまたこう言うかもしれません。「想定外だった」と・・・。
あるいは、途中で目標設定の基準を低くするかもしれません。

コロナ禍は、「想定外」も越え、思考停止状態に?

コロナ禍への対応に関してはどうでしょうか?

歴史的にも、ウイルスの猛威は何度かありました。

正直、日本政府は、今回のコロナ禍を「想定外」として対処しているように見えます。というより、一部の業界と国民への協力要請を中心に手を打っている状態ですから、想定外も越えて、思考停止状態に陥っているのかもしれません。

それなら、何を基準にするのか?
主語は何なのか?

これも同じく、「自然」です。
この自然の猛威に、人間の知恵でどう対処していくのか。

多方面の情報を整理してみると――。

・特に私立病院を対象に、コロナウイルス罹患者の病床数を増やすこと。
・ワクチンをもっと早く若者を中心に投与すること。
・イベルメクチン(ノーベル賞受賞者の大村智博士が発見した抗寄生虫病の特効薬)を、治療薬として国民に投与。※実効性はまだしっかり立証されていないが、危険性のない分、トライする価値があること。

コロナ禍が終息しない今、その自然禍に対して手を打つなら、上記3つの方が効果的ではないかと考えます。

天動説から地動説同様、人間中心から自然中心へ。

病床数確保のための病院に対する最大の支援、いちばん外出する若者へのワクチン投与、可能性の高い治療薬の国民的投与・・・この3つとも、日本政府が動けばできます。逆に、日本政府が動かなければできないのです。

人間を主語とする「想定」は、人間の過去の経験則に則っている場合が往々にしてあります。

そして、最もいけないのは、想定の範囲を越えて思考停止に陥ることです。

その罠に陥らないためには、最初から「自然」の中で人間がどう生きていくか、できる人たちが知恵をふり絞ってリーダーシップを執ることではないでしょうか。

かつての、地球の周りを太陽と月が回っているという「天動説」から太陽の周りを地球が回っているという「地動説」への価値転換と同じです。

「人間中心」から「自然中心」への価値転換。

そのことを、自然の猛威は教えてくれているような気がしてなりません。

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