長年の人間関係に息苦しさを感じた
長年、顔を突き合わせていると、いいところより、悪いところが鼻につき、喧嘩をしたり、口を利かなくなったりするものです。
親子関係、恋人関係、夫婦関係、友人関係、会社の同僚同士——多かれ少なかれ、人間関係のあるところ、すべてに発生源があります。
事例を示すまでもなく、私も、あなたも、振り返ればいくつか思い浮かぶことでしょう。
ひとつだけ、私の事例を——。
母との関係です。
私は、中学に入ると反抗期になっていました。
小さな田舎のことです。
私の祖父が小学校の初代校長だったこともあり、常に優秀であることが求められました。
そのプレッシャーからか、母にだけは反抗的な言動を繰り返していました。
甘える人は母しかいなかった。でも、それを認めたくなくて逆の言動になったんだ、と後で反省することにはなるのですが・・・。
(思春期の息子を持つ母親は大変ですね、ホントに)
高校から親元を離れ、下宿するようになってからのことです。
1カ月ほど、母が恋しくて、布団を被って、こっそり泣く日々が続きました。
これほどまでにマザコンだったのか、と改めて自分でも驚いたほどでした。
涙も乾いた頃、私は一切のしがらみから抜け出たような自由さをかみしめていました。
・・・大人になった気分で、下宿仲間たちと、ギリギリの悪さをするようになりました。
下宿のおばさんが、母を呼んで注意したこともありました。
母は当然私を叱りましたが、何か以前とは違う関係性ができたように感じたのです。
「・・・分かった」
私は素直になっていました。
たくさんの食料を両手に持って下宿にやって来る母に、自然と感謝の念が湧いてくるのです。
「有り難う」
自然に言葉が出ていました。
ずっと一緒に暮らしている間は、3食出てくるのは当たり前だと思っていたのに・・・。
人間関係の距離は「優しさ」で測ろう。
その後、上京し、社会人になり、起業し、時々一緒に住んだこともありました。
でも、ほとんどは離れて暮らし、1年に何度か会うという生活サイクルでした。
そんな中、懲りもせず、時々は母と喧嘩しました。
泣かせたこともありました。
相も変わらず、マザコンだったのでしょう。
ややこしい息子です。
「今まで、有り難う」
母が他界する前、絞り出すような声で、そう言ってくれました。
母と最期、一軒の家に住めたことが私の救いです。
離れているから優しくなれる関係ってありますよね。
長年の人間関係に息苦しさを感じたら、環境を変えることをお勧めします。
なにも、あえて離れて暮らしましょうと言っているわけではありません。
短期間距離を置くとか、他の人と会う時間をつくってみるとか、旅して文字通り離れてみるとか、今の環境を変えてみることです。
そうすると、かつて見えていた、いいところを再発見したり、悪感情のガス抜きができたりするものです。
案外、喧嘩したり口を利かなかったりしたことが、相手への甘えであることに気づくことが往々にしてあるものです。
・・・今は、ウイルス問題で、世界も社会も安全を念頭に、経済成長よりも人間の命を最優先させています。
そんな環境にあるからこそ、人間関係を見直すにはいい時期ではないでしょうか。
※写真は、高校時代、母と離れて下宿生活を送っていた秋田県の大館市(忠犬ハチ公の生誕地)