日本旅行と日立製作所の名前入りのタイトルって、どういうこと?
「いい日 旅立ち」という曲、知っていますか?
リリースは1978年。
谷村新司が作詞・作曲した曲を、19歳の山口百恵が歌ったものです。
この年は、成田国際空港が開港し、60階建ての高層ビル「サンシャイン60」が池袋にオープン。日中平和友好条約が調印された、日本が国内外に歴史を刻んだ年でした。
また、ディスコブームの年でもありました。懐かしくありませんか?
百恵ちゃんにとっては24枚目のシングルで、この前後では「絶体絶命」「美・サイレント」をリリースしています。
(ちなみに、私は百恵ちゃんと同い年で、中三トリオの桜田淳子と同じ秋田出身です)
さて、この「いい日 旅立ち」、実は国鉄の「DISCOVER JAPAN 2」のキャンペーンソングとして誕生した曲であること、ご存知でしたか?
「ああ、あれか!♪」
と甦る人も多いのではないでしょうか。
JRではなく、国鉄の時代です。
この当時、国鉄には使える大きな予算がありませんでした。
それもそのはず。国鉄は常に赤字体質で、この曲の誕生の2年後、1980年には、「最後の自主再建プラン」と言われた「国鉄再建法」が成立するほど、厳しい懐状態だったのです。
予算が少なければ、せっかく作ったCMも大量に流すことはできません。
そこで、国鉄から依頼を受けた大手広告代理店が実施した苦肉の策とは――。
実は、「いい日 旅立ち」という曲名によって、2社のスポンサーからプラスの予算を引き出すことができたのです。
どういうことか?
・「いい日 旅立ち」の「日」と「旅」→日本旅行
・「いい日 旅立ち」の「日」と「立」→日立製作所
何と、曲名そのものの中にスポンサー2社の社名が映えるようにしたのです。
営業力とクリエイティブ力の粋を集めた、何と奇抜なアイディアだと思いませんか?
「タイトルが普通過ぎて、逆に新鮮」「この曲、歌いたいです」
大手広告代理店は、その既に決められた曲のタイトルを谷村新司に示し、その背景を言うことなく曲づくりを依頼したようです。
彼の反応はどうだったのか?
「普通過ぎて、逆に新鮮」
そんな反応だったようです。
彼は、カタカナや難しい言葉を使わずに作詞・作曲し、老若男女が口ずさめる曲に仕上げることに成功しました。
彼は百恵ちゃんに対して、黒電話を通して、仕上げた「いい日 旅立ち」を歌ったところ、百恵ちゃんの反応はどうだったのか?
「とてもいいと思います」
「この曲、歌いたいです」
そんな反応だったそうです。
そして、CM効果も相まって、曲はロングヒットしたというわけです。(累計売上100万枚)
いかがですか?
心温まる曲、思わず口ずさんでしまう歌の誕生には、意外な秘話が隠れているものですね。
今度、久しぶりに歌おうかな♪(^^♪