「愛の会社エグジット」への道 第16話 51:49か0:100か。株の配分を巡って話は頓挫した

51:49-0:100

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私が会社を第三者に事業承継したのは会社を経営して25年経った時でした。
その間、会社を倒産の危機に追いやったことが2回ほどありました。

応援してくれていた両親が立て続けに他界しました。
複数のベテラン社員を後継者として育成しようとしましたが、ことごとく失敗しました。

そして、ふとしたことがきっかけとなり、1年後には会社を売却することになったというわけです。売却に至るまではさまざまな葛藤がありました。

今回は、シリーズで、そのてんまつを小説仕立てでご紹介します。
読んでいただけたら幸いです。
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「会社を存続させたいが・・」その葛藤のあげくの結論は

何年後まで関連会社として社名を残すか・・・次に暗礁に乗り上げたのは、このことでした。

「10年かな」

私はそう答えました。
もっとずっと先までというのが本心でした。

会社エグジットによって、Hが51%、私が49%の株を持つという話が持ち上がった時がありました。私もHも、当時はその組み方でいこうと考えていました。

 ところが、調べてみると、51%の株を保有する者の権限が圧倒的に強く、49%の私の方は、いくつかの権限を有するのみ。

そのひとつが、会社の売却を否認する権利でした。その持ち株比率にすると、当社は、私が株を保有する限り、会社を存続させることができるのです。

私は会社の名前が残るならそれでもいいと考えようとしました。

ところが、Hにしてみると、生産効率を上げ、一体感をもって会社の成長を考えるなら、当社を早く吸収合併した方が得策、と考えるのも頷けます。

そして、もう一つ。私には次の夢がありました。

学生時代からやりたかったことを実現するには、経営の現場から早く離れる必要があったのです。

Hにしても、しばらくは私にいてほしいという希望がありました。

大きな取引先のほとんどは、社員がしっかり受け継いでいるとはいえ、私が開拓してきた顧客が多かったからです。

社員も、私のマネジメントに慣れています。
外部ブレーンや銀行との折衝もあります。
せっかくの資産を失わないための統合作業(PMI)に私は必要だったのです。

そんなお互いの葛藤の中で、最終的に、私は株を100%売却することに決めました。

「10年かな」

でも、自分の作った会社は可愛かった。なるべく長く社名を残したかったのです。

3回ほどの交渉を経て決定した内容は、「3年間は関連会社。その後に合併」でした。

そして、株の売却後、Hの会社の隣りのオフィスが空いていたこともあり、そこに引っ越し、社員同士の交流を図ることに決めました。社員の混乱を避け、定着してもらうためでした。

交渉が始まってから、9カ月が経っていました・・・。

ところが、最後に、最大の難関が待ち受けていました。

成約後の統合作業に私が加わるのは当然として、3年間、関連会社の社長を続けることに、私は抵抗がありました。

あくまで顧問の立場で会社をバックアップしたい、私がそう思っていたからです。一方、Hサイドからも社長候補者がいないという。

「仕入先の経営渉外のOをスカウトしようか」私の方から持ちかけた話でしたが、

「ぜひ!」と、Hはスカウトすることに承諾しました。

会社の将来を案じてくれて、ベテラン社員との話し合いの間に立ってくれた男がOでした。Hも反対する理由はありませんでした。

(続く)

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