「愛の会社エグジット」への道 第2話 息子に「継ぐ?」と聞いた己の浅はかさ。そして寝耳に水の話

father-and-son

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私が会社を第三者に事業承継したのは会社を経営して25年経った時でした。

その間、会社を倒産の危機に追いやったことが2回ほどありました。
応援してくれていた両親が立て続けに他界しました。
複数のベテラン社員を後継者として育成しようとしましたが、ことごとく失敗しました。

そして、ふとしたことがきっかけとなり、1年後には会社を売却することになったというわけです。売却に至るまではさまざまな葛藤がありました。
今回は、シリーズで、そのてんまつを小説仕立てでご紹介します。
読んでいただけたら幸いです。
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息子の言葉に、目が覚めた瞬間

「会社を継ぐ気はある?」
なじみの居酒屋に息子を連れて行き、頃合いを見て、私は唐突に息子に話を持ちかけてみました。
当時の息子は27歳。大手メーカーの関連会社に勤めていました。この前、彼はつき合い始めの彼女を紹介してくれたばかりでした。

彼は、神妙な顔をして、しばし沈黙した後、
「やりたいけど、俺にできるかなあ」
と、自信なさげに返答してきました。

私のDNAなのか、彼は人材採用の仕事に興味を持っていて、一時期、広告代理店に勤めていたこともあります。それもあって、話を持ちかけたわけです。
5人の社員が去り、私は、彼を最後の砦にしようとしていたのです。

別れ際に、息子はこう言ってきました。
「・・・どうしてもというなら、親父の会社を継いでもいいよ」
私は、その言葉に殴られたように、大きなショックを覚えました。

私は、実に浅はかな考えで息子に話を持ちかけたことを一瞬で後悔したのです。
息子を後継者候補に指名してみたところで、これから入社となると、社員同様、いや、それ以上に育成に時間がかかります。
社員の反発も予想されます。

それに、せっかく大手関連の会社に入社した息子に、私のわがままから安定したサラリーマン生活を捨てさせることはできません。会社が将来どうなるかも保証もできません。わざわざ苦労させるには忍びない・・・さまざまな思いが去来し、今更ながら親心が顔をのぞかせてくるのです。

(しっかり考えた上で、声をかけるべきだった。いや、考えたら声をかけなかっただろう)

早くから息子との間に同意形成ができていて、経営者の道を歩かせるべく育成を始めていたのならまだよかったでしょう。どうやら父親が息子に無理難題を吹っかけている構図が浮き彫りになってきました。

「・・・どうしてもというなら」
そう言わせた息子の心はいかばかりだったか・・・私は息子に頭を下げました。

ふと舞い込んだ情報。会社を根こそぎ変える時が訪れた

事業承継に失敗し、リーマンショックの傷口がまだふさがっていない時に、寝耳に水の話が仕入先から舞い込んできました。

それは、売上目標の最低基準の数字が何倍にも上がったことでした。
求人広告の代理店は、メーカーである版元からのマージンで経営が成り立っています。
そのマージンが、最低基準の数字をクリアできなければ下がってしまうということになります。そして、このまま何ら手を打たなければ下がってしまうのは明確でした。

その基準値を設定して運用するまでには、1年の猶予期間がありました。その間に体制を整える必要があります。
もしクリアできなければどうするか、私は考えてみました。
マージンが下がり、利益が減ることを覚悟するなら、

・他の商品も扱って、売上ボリュームを増やす。
・利益率の高い事業を立ち上げる。
・社員を減らす。

大きくは、この3つと考えました。

一方、仕入先の要望に応えるならどうすべきか、私は前向きに考えてみました。

・社員を増やし、取引社数を増やす。
・1社当たりの売上単価を上げる。
・契約スピードを上げる。

大きくは、この3つと考えました。
果たして、1年でこれができるのだろうか・・・頭の中は堂々巡りです。
(1年の間に数倍の売上を上げるなんて、現実的なのだろうか?)

20年以上かけて3倍の売上と社員数・・・そういう風に長期間かけて成長させてきた会社を、1年間で数倍に成長させることができるのか、私の中で警報音が鳴りました。

120%の成果を求められるなら、現状の努力を2割増しすればいい。
でも、200%、300%の成果を求められるならば、根こそぎ会社を変える覚悟と実行力が必要です。

会社の将来を、私はあの時ほど真剣に考えたことはありませんでした。(続く)

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