短編小説『つむぎ合い』

full-moon

短編小説を書いてみました。

双子の姉を失い、色も失ってしまった少女と絵の先生が織りなす光と影の物語。果たして少女に色は戻ってくるのか。

読んでもらえたらうれしいです。
#monogatary

「拝啓、あなたの見る世界が、
 どうか光に満ちた温かい世界でありますように——」

私は少女に向けて手紙をしたためていた。
私の名前はタルヒ。
少女の名前はツムギ。

出会ったのは、ツムギが小学6年生の時。
私はツムギの絵の先生として招かれた。

それから1年。
中学2年生になろうとしている時に私たちは離れた。

そして、離れてから3年。
ツムギはもう高校生になっているだろう。

今、ツムギの目には、どんな世界が映っているのだろう。
それを確認するために、私たちは再会することになった。
約束の3年が経ったから。

もうすぐ会えるけど、その前に手紙を読んでもらおう。
私はそう決めて、筆を取った。

私は、手紙をしたためながら、時折、窓の外の青い空を眺めながら、過去に思いを寄せていた。

「――ツムギさん、あなたは大好きな双子のお姉さん、ヒナノさんを失くし、悲しみのあまり、何も手につかず、引きこもっていましたね。そんな時、あなたのお母さんのアカリさんから私に連絡が入り、娘に絵を教えてほしいと頼まれたのがあなたとの出会いの始まりでした。お母さんとは美大の同級生だった――」

なぜ私にアカリから声がかかったのか。
もちろん、学生時代から気の置けない友達だったこともあるけど、
それ以上に、本来はあなたが絵を描くことが好きだったから。

そして、あなたを託せるのは私しかいないとアカリが確信したから。
それには、ある大きな理由があるんだけど・・・。

あなたもお姉さんのヒナノさんも絵が好きで、よくスケッチブックに一緒にお絵描きをしていたと聞く。

見せてもらったけど、たくさんのクレヨンや絵の具を使い、カラフルな色で山や湖、太陽や雲や星を背景に描き、その前で一緒に笑いながら遊んでいる二人が絵の中心に描かれていた。

本当に仲が良かったのね。
でも、お姉さんを失くしてから、あなたは絵を描かなくなった。

そんな時、私にアカリから声がかかった。

「――お母さんのアカリさんからツムギさん、あなたを紹介された時、あなたはお母さんの後ろに隠れるようにして私を見ていましたね。目に涙を浮かべながら。まぶたが赤くはれていたから、ずっと涙を流していたんですね。そして、何よりもびっくりしたのは、あなたの目から見える世界には色がなく、黒と白とグレイのモノトーンの世界しか映らないと知ったこと。私はしばらく声が出ませんでした――」

そう、あなたはお姉さんのヒナノを失くしたと同時に色もなくしてしまった。
何という悲劇。
きっと、悲しみのキャパを越えてしまったんだね。
そう考えるしかなかった。

私たちが出会ったのは、冬の12月。
能登半島の輪島のあなたの家で会ったね。

外は雪深く、小高い丘の上にあったあなたの家から見える海は青にグレイを上塗りしたような暗く寒いあさぎ色が地平線まで広がっていて、鈍色の空との境界線がはっきりしなかった。

ひょっとしたら、あなたが見える世界と私が見えている世界はそんなに違わないかもしれない。そう思わせる風景だった。
私の名前、タルヒの意味のひとつが「垂水」(つらら)であるように。

レンガに囲まれた家のあなたの部屋には暖炉があって、外の厳しい寒さに比べて、汗がにじむような暖かさだった。
暖炉の中で燃える赤だいだい色の炎。
でも、その時のあなたにはグレイにしか見えなかったね。

私は最初、週に何度か通いながら、あなたに絵を教えようと思った。

でも、色を失ったあなたがスケッチブックやキャンバスに向かうことは難しいと判断して、まずはあなたの心の傷をいやそうと考えた。

そのためには、一緒に暮らしながら、私に心を開いてもらうしかないと考え、アカリに提案し、同居することにした。

そして最初に手がけたこと。それは外を一緒に散歩すること。
家に閉じこもってふさいでいては何の進展もない。
外の空気を吸いながら散歩する。
そうすれば、五感が刺激され、凝り固まった心が少しずつ動き出すはずだと。

最初は嫌がっていたけど、まずは5分だけあの道まで往復してみよう、そこから始めたね。
そして徐々に距離と時間を延ばしていった。

「――あなたの笑顔は消えたままだったけれども、涙は流さなくなっていきましたね。下を向いてばかりいたあなたが、空の太陽や星を見たり、山や海に目を向けたりするようになっていった。うれしかった。でも、景色には相変わらず色はついていない。希望が見えないのと同じ。その気持ちは私にも伝わってきました。まさに冬の北陸の寂しい風景のような――」

苦しかったね、ツムギ。
あなたの苦しみを分けてもらうため、三度の食事の時も一緒だった。
食の進まないあなたのために、すぐ飲み込めるように野菜を軟らかく煮てあげたね。

悪夢にうなされても安心できるように、隣りで添い寝もしたね。
一緒にお風呂に入って、あなたの長い髪を洗ってあげたりもした。
そうこうするうちに、だんだんとあなたの苦しみが私のものになっていった。

もうそろそろいいかなと、スケッチブックをあなたに渡し、
「何でも自由に線を引いてみて」と促してみた。

まだ無理かなと思ったら、あなたはクレヨンで線を引き出したね。
赤のクレヨンを使っていたけれども、あなたには黒にしか見えなかったね、きっと。

最初は上から下に向けて何本ものまっすぐの線、次に波線。そしてスケッチブックを何枚も使って円を描き出した。
楕円が描くごとに丸くなっていく。

「うまいね」

私がそう言ったら、あなたは私を見て初めてにっこり笑った。

(あっ、やっと気持ちが動き出した)
私はそう思った。

「――ツムギさん、あなたは円を描くことで、やっと気持ちが動いたのです。それは私にも伝わってきました。この頃はもう、あなたと私は一心同体だったから。私は、その円の中に眉と目と鼻と唇を描き、赤と黄色と白を混ぜて肌色を作って顔に塗ってみました。それを見たあなたは大きく目を見開いていましたね。そして『ヒナノだ』と叫んでいた――」

その瞬間からだったね。
あなたは次第に色を取り戻していった。
私との会話、そして一緒に絵を描くことを通じて・・・。

色を失くした原因は、お姉さんを失くして、あなたの心が悲しみに沈んでしまったから。私にはそれが手に取るようにわかった。

あなたと出会って3カ月。

3月に入った頃、あなた自身も、なぜ色を失くしたのか、その原因に自分で気がついた。

「ヒナノは赤、黄、青、緑の明るい色、私が黒、茶色、グレイの暗い色を担当していたの」

そう、あなたは気づいた。
夜なら、お姉さんが星や月を描き、あなたは夜の空を描く。
顔なら輪郭や目鼻をあなたが描いて、お姉さんがカラフルな色で塗り重ねていく。

あなたは影、お姉さんは光だった。
だから、お姉さんを失い、一緒に光を失ったんだと・・・。

ツムギ、あなたは次第に色を取り戻していった。

絵は、私がお姉さん役になって明るい色を、ツムギの描く線に合わせて塗り重ねていった。
あなたは色を感じるごとに笑顔を見せるようになっていった。

暖炉で燃える赤だいだい色。
朝、カーテンから漏れてくる太陽の光のクリームイエロー。
散歩をしながら目の前に広がる海の青にグレイを重ねたようなあさぎ色。
昼、ベランダの椅子に座りながら眺める丘の上の草原のグリーン色。
木々からの木漏れ日のレモンイエロー。
夜空に煌々と輝く星や月のタンポポ色。

あなたは細かな色との再会に喜びを素直に表現してくれた。
だから、時間の経過とともに、あなたの笑顔は絶えることがなくなっていった。

私とアカリは、抱き合いながら喜んだ。

「――あなたには話していなかったお話があります。私も高校時代に同じような体験をしていたのです。私も双子の妹を失った。ツムギさんと逆で、明るい色しか見えなくなってしまったの。影がないから、輪郭がぼんやりして境目がわからず、歩くのも困難。その時に私の病気を治してくれたのがあなたのお母さん、アカリさんだった。私の影になってくれたお母さん。アカリさんがいなかったら、私は冷たいつららの『垂水』(タルヒ)。お母さんがいたから、私は満ち足りた『足る日』(タルヒ)になることができた。だからこそ、アカリさんは、あなたのことを私に託した――」

私の場合も、ツムギと同じように、回復するまで半年から1年かかった。
私があなたに向き合ったように、アカリも付きっきりで私につき合ってくれた。

体を支えながら、私を散歩に連れ出してくれたり、スケッチブックに、私の描いた色の輪郭を黒の線でなぞってくれた。

最初は見えなかった黒が、ある時から浮かび上がってくるようになったの。
私の苦しみをアカリが共有してくれたから。

散歩の距離と時間を徐々に伸ばしていく中で、山の稜線も海の地平線も見えるようになってきた。

うれしかった。笑えるようになった。
ずっと笑えなかった後の私の喜び、あなたにはわかるわね。

アカリには感謝の言葉しかない。
だから、私があなたにしてきたことは、アカリが私にしてくれたことをなぞってきただけ。

影と光は逆だったけどね。

灼熱の夏になって、あなたは完全に色を取り戻した。
まぶしく日の光を見つめるあなた。
青にグレイを重ねたあさぎ色の海がマリンブルーに変わった時、汗をかきながら海辺ではしゃぎ回るあなた。

「私の中にヒナノが生きてる」

あなたがそう言い切った時、もうひとりで歩ける、私はそう確信した。

秋になり、私の役目はもうそろそろ終わりに近づいていた。
この年、9月の中秋の名月の日は満月だったね。

アカリはあなたを抱きしめながら涙を流していた。

「タルヒ、有り難う。あなたのおかげよ」

アカリは私を強く抱きしめて、そう言ってくれた。

「――ツムギさんとは、3年後の中秋の名月の日に再会する約束をしましたね。なぜかというと、その時、あなたが私の妹と同い年になっているから。その時、あなたが元気でいてくれるなら、それこそが妹の供養になるから。私のわがままですけどね。ツムギさん、あなたの笑顔に再会できるのを楽しみにしていますね。敬具 ツムギさんへ タルヒより」

私は、手紙をそう締めくくった。

                 ○○○

3年後、そこには笑顔のツムギが立っていた。
彼女のうしろの夜空には、タンポポ色の満月が二人を煌々と照らし続けている。

タルヒの目には、そのまん丸の月が双子の妹の顔に映って見えた。

(人生とは光と影。人はお互いつむぎ合って生きているのね)
それは、タルヒの心の奥底から浮かび上がってきた言葉だった。(了)